初めて“自発的”にここで学びたい、と思えた予備校でした。
第7回 メビオOB 先輩医師からのメッセージ
金澤 秀介(かなざわ しゅうすけ)
- 1980年 アレフ会創設年度に入会
- 1987年 再び入会
- 1988年 近畿大学医学部進学
- 1994年 卒業
近畿大学医学部 救命救急センター入局、
近畿大学医学部 救急医学講座講師を経て、 - 2007年 金澤クリニック院長
*メビオは1980年アレフ会という名称で創設。
創設時は中・高を経て医歯学部へと進学する指導計画に沿い、小学生の指導も行っていました。
小6・高3とアレフ会*(現メビオ)で学びました。小5から大手進学塾のハイレベルクラスに通っていましたが、70〜80名が一斉に聴講するマス授業。意欲がわかず、「これではだめだ」と親も思ったのでしょう、言われるがままに入会しました。小さな丸テーブルを先生と生徒3人で囲む対面式の授業は今までの塾より圧倒的に楽しく、また中学に進んでも役に立つ勉強を教えてもらえた、と今になって思い返しています。 中学・高校と親に勧められるままいくつかの塾や予備校を転々としました。なかには1ヵ月で辞めた塾もありました。高校の友人が通う予備校もあちこち見学しましたが何か違う、ピンとこない……自分でもマス授業は合わないとわかり、医学部受験を来春に控えた高3の時「もう一度、アレフで学びたい」と親に頼み、初めて“自発的に”通い出しました。
受験にも通用する、受験勉強らしくない勉強でした。
アレフでの授業は、今まで経験したことがない受験勉強らしくない内容でした。たとえば萩原先生の英語は『老人と海』を原書で読破するという指導内容。単語の意味と解説を先生が手書きで加えたプリントをファイリングしたものがテキスト。最初こそ問題集すら使わない独特の指導に戸惑いましたが、どの先生も生徒を引っ張る力があるので、こちらも授業に食いついてしまう。夏休みが終わる頃にはアレフで朝から晩まで、授業を受け続けたいと思うまでになっていました。苦手だった化学も亀井先生の指導で気持ちよくスクスク伸びました。高校のテストで95点をとった時はうれしかった。「わかる→成績が上がる」という結果が出るとがぜん勉強が面白くなって……いいサイクルに入っていけました。元日の朝から授業を受けて、お昼はクラスメイトのお母さんが用意してくれたお節料理を先生とみんなと食べて——そういうこともありました。先生も自分たちのために頑張ってくれているんだから、頑張らないと、と自然にそう思えました。
ベースを鍛え、伸ばす指導が今の自分をつくっている。
母校の救急医学講座で教鞭を執っていた時、学生には「ベースが大事だよ」と言い続けていました。5年生には、2年生で学んだ解剖のテキストをもう一度復習しておきなさい、というように。ベースがいかに大事かを私はアレフで学びました。基盤をしっかりとつくったうえに、 ひとつずつ積み上げていく……。これは、受験勉強に限らず医師としての仕事など、あらゆることに通じることです。